看護助手として働いていると、不意に「もう続ける自信がない」と、心がポキリと折れてしまう日があります。
前日のミスを思い出して眠れなかった翌朝。不機嫌な患者さんに八つ当たりされてしまった時。「セラさん、さっきのやり方違ったよ」という先輩からの何気ない一言。
そんな小さなできごとが、心のコップに溜まった最後の一滴となり、溢れ出してしまう。「自分はこの仕事に向いていないんじゃないか」「ここにいる資格がないんじゃないか」。そう思ってしまった時、もう一度制服に着替えるのは、山に登るよりも大変なことに感じられます。
でも、そんな「自信ゼロ」の状態で、わたしはどうして今日もこの場所にいるのでしょう。今日は、そんな不思議な「粘り強さ」についての、まとまりのない想いを綴ってみます。
「それでも出勤したなんて、偉いね、強いね」と言われることがあります。でも、当時のわたしの実感は、そんな光り輝くものではありませんでした。
強いから行ったのではなく、ただ欠勤の電話をする勇気がなかっただけ。あるいは、生活のために行かなければならないという強迫観念。そう、それは「自信」や「やりがい」といったポジティブな言葉とは正反対の、ただの「惰性」だったのかもしれません。
でも、最近になって思うのです。自信満々で職場に向かうことだけが正解ではない、と。むしろ、ボロボロになっても、自信を失ってうずくまりそうになっても、ノロノロと足を運んでいるその一歩にこそ、看護助手としての「誠実さ」が隠れているのではないか。自信なんてなくても、現場に立っている。その事実だけで、今のわたしは合格点なのだと、自分に言い聞かせています。
自信がないまま現場に立ったとき、皮肉にも、そんな自分を救ってくれるのはやっぱり患者さんだったりします。
おむつ交換をしながら交わす、たわいもない会話。車椅子を押しているときに、ふと手を握られたぬくもり。「今日も来てくれたんだね」と、わたしの存在を当たり前のように受け入れてくれる眼差し。
その瞬間、わたしは「完璧な看護助手」である必要なんてないんだ、と気づかされます。自信がなくても、技術が未熟でも、いまここでこの方の隣にいること。それ自体に意味があるのかもしれない。自分は看護師さんの代わりにはなれないけれど、この方の「今日」を少しだけ支えることはできるのかもしれない。
「この仕事を続けていける自信がありますか?」と聞かれたら、いまのわたしも、やっぱり「わかりません」と答えるしかありません。
自信は、ある日突然空から降ってくるものではなく、迷いと挫折を繰り返しながら、足跡のように少しずつ残っていくものなのかもしれません。だから、いますぐ「自信を持って!」なんて言えません。むしろ、「自信のないまま、よく今日まで歩いてきたね」と、自分にも、そして同じ空の下で悩んでいるあなたにも、声をかけてあげたいです。
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