看護助手のお仕事。患者さんの身の回りのお世話をして、看護師さんのサポートをする。一日の終わりに「今日もやりきった」と胸を張れる日ばかりならいいのですが、現実はそう甘くありません。
「わたし、このお仕事に向いてないのかもしれない」
そんな思いが、ふとした瞬間に心の中をかすめていくことがあります。周りの先輩たちがテキパキと動いている中で、自分だけが空回りしているように感じたり、患者さんへのちょっとした声かけが上手くいかなかったり。そんな日の帰り道は、足取りがいつもより重たく感じてしまいます。
今回は、そんな「向いてないかもしれない」という迷いを抱えたまま、それでも現場に立ち続けているわたしの、今の素直な気持ちを言葉にしてみたいと思います。
看護助手の募集要項によくある「笑顔で明るい対応ができる方」「テキパキと動ける方」という言葉。働きはじめる前は、わたしもそんな自分になれると思っていました。患者さんに寄り添い、どんな状況でも落ち着いて行動する。それがこのお仕事の「正解」なんだと、自分の中に高いハードルを置いていたのかもしれません。
でも、実際の現場は想像以上に慌ただしく、感情をコントロールするのが難しい場面の連続でした。重なるナースコール、処置の手伝い、食事の配膳。優先順位を考えて動いているつもりでも、どうしても手が回らなくなってしまう。そんなとき、余裕を失った自分の顔が鏡に映るのを見て、「理想の看護助手」とはほど遠い自分にガッカリしてしまうのです。
「もっと器用にできればいいのに」という思いと、どうしても追いつかない現実。その長い隙間に、わたしは今も立ち尽くしているような気がします。
職場の先輩や同僚を見ていると、みんなが自分よりずっと優れているように見えてしまうことがあります。処置の準備を先読みして動く速さや、怒りっぽい患者さんをいつの間にか笑顔に変えてしまう魔法のような言葉選び。
「あの人には才能があるんだな」
そう思うたびに、自分の不器用さが際立って感じられます。自分なりに一生懸命やっているつもりでも、どこか足りない。努力だけでは埋められない、そもそも「向き・不向き」の根本的な部分で、わたしは間違っているのではないか。そんな静かな焦りが、じわじわと心を浸食していく夜がありました。
比べる必要はないと分かっていても、同じ空間で働いている以上、視界に入ってくる「完璧な動き」は、時に残酷なほど自分の未熟さを照らし出します。
「向いてないなら、辞めたほうがいいのかな」
そう考えたことも、一度や二度ではありません。でも、不思議なもので、そんなふうに悩み抜いた翌日に、患者さんから「セラさん、今日の着替えは楽だったよ」と声をかけていただいたりします。その一言で、昨日まで積み上げてきた「向いてない理由」が、一瞬で溶けてなくなってしまうような感覚。
向いているのか、向いていないのか。その答えは、もしかしたらずっと出ないものなのかもしれません。白か黒かでハッキリ決められないまま、宙ぶらりんな状態で現場に立ち続ける。それはとても勇気がいることで、同時にすごく疲れることでもあります。
今日、現場に立ったこと。失敗して落ち込んだこと。「向いてない」と涙が出そうになったこと。そのすべてが、今のわたしの等身大の歩みです。
無理にポジティブになろうとしなくても、自分を成長させようと追い込まなくてもいい。ただ、「今日はあの方のお茶を補充できた」「この方のナースコールにすぐ行けた」という、小さな事実だけを見つめてみる。向いていないと感じる自分を否定せず、「そんなふうに悩む自分も、私らしいな」と、少しだけ認めてあげてもいいのかな、と思っています。
わたしも、明日また現場に立つ時に、「向いてないかも」と思うかもしれません。でも、その迷いを持ったままのわたしにしか、できない関わりがあるのかもしれない。そう信じて、今はまだ、答えを出さないまま歩いていこうと思います。
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