時計の針が驚くほどの速さで進んでいく、病棟の日常。ナースコールが鳴り響き、処置の準備をし、次から次へと舞い込んでくるタスクをこなしていくうちに、ふと気づくと自分自身の「心」がどこかに置き去りにされているような感覚になることがあります。
患者さんの死に直面したり、深い悲しみを抱えたご家族に寄り添ったり。本来ならじっくりと時間をかけて受け止めるべき重いできごとさえ、職場では「業務の一つ」として処理されていく。そのスピード感に、わたしの感情はとうの昔に追いつかなくなっていました。
今回は、そんな感情が置き去りになったまま、身体だけが動いていた日の、静かな戸惑いについてお話ししてみます。
看護助手になりたての頃のわたしは、もっとよく笑い、もっとよく泣いていました。患者さんの嬉しいニュースに自分のことのように喜び、厳しいお叱りを受けたときは本気で落ち込んでいた。
でも、経験を重ねるうちに、それを続けていては到底身体が持たないことを学びました。感情を大きく動かすことは、この現場を生き抜くためには贅沢なことなのかもしれない。そう思い、いつの間にか心の周りに薄い膜を張るようになったのです。
何が起きても動揺せず、冷静に、淡々と。それはプロとしての成長なのかもしれません。でも、その膜は同時に、わたし自身の「人間らしさ」さえも、少しずつ削ぎ落としていったような気がします。
感情を押し殺して働くことは、とても効率的です。ミスは減り、処理能力は上がる。でも、わたしたちはロボットではありません。
どんなに蓋をしても、わずかな隙間から溢れ出してくる感情があります。患者さんの温かい手に触れた瞬間の切なさ。理不尽な言葉を投げかけられたときの、腹の底から湧き上がる怒り。それらが「業務」という荒波に飲み込まれ、行き場を失ったまま自分の中に蓄積されていく。
そうやって「処理できなかった感情」が、いつしか自分を内側から重くさせていくような気がしています。
感情が追いつかないまま働いている自分を、冷酷だなんて思わないでください。それは、あなたがそれだけ繊細で、多くのことを感じ取れる心を持っているという証拠なのです。
「いま、自分は心がないみたいに動いているな」と気づくだけでいい。その状態を改善しようとしたり、無理やり感情を引き戻そうとしたりしなくていいのです。ただ、「いまは感情が追いついていない自分」を、そのまま許してあげてください。
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