このお仕事をはじめてから、一番難しかったこと。それは技術を覚えることでも、忙しさに慣れることでもなく、「いま、自分はつらいんだ」と言葉にすることでした。
患者さんの命を預かる現場。日々、命懸けで戦っている看護師さんたち。そして、もっと過酷な状況にある患者さん自身。そんな方々に囲まれて働いていると、いつの間にか自分の中の「つらさ」の基準がマヒしてしまうことがあります。
「みんな頑張っているんだから、私くらいが弱音を吐いちゃいけない」
「これくらいのことでつらいなんて言ったら、わがままだと思われないかな」
そうやって、自分の心から湧き上がってくる小さな悲鳴を、見ないふりをして過ごしてきた日々。今回は、そんな感情の蓋を外して、「つらい」という言葉にたどり着くまでの、わたしの長い格闘についてお話ししてみたいと思います。
看護助手の業務は、誰にでもできる単純作業のように言われることもあります。それでも実際には一日に何キロも歩き回り、重い患者さんの移乗を行い、常に変化する環境に対応し続けなければなりません。肉体的な疲労はもちろん、何よりも「失敗が許されない」という精神的な圧迫感は、想像以上に心を削るものです。
でも、当時のわたしは、その疲れを「当然のこと」として受け入れえいました。仕事なんだから疲れえるのは当たり前。みんな同じ。そう自分に言い聞かせることで、なんとか自我を保っていたのかもしれません。
でも、ある日、ふとした瞬間に涙が止まらなくなったことがありました。特別なことがあったわけではなく、ただ家に帰って靴を脱いだ瞬間。そのとき、やっと気づいたのです。「ああ、わたし、ずっと無理をしていたんだな」と。言葉にできないまま積み重なっていた重荷が、ようやく形になった瞬間でした。
「つらさ」に名前をつけられなかったもう一つの理由は、他人との比較でした。
「もっと大変な人がいる」
「私よりも忙しい部署がある」
そんな言葉は、時に自分の尊厳を守る盾になりますが、時に自分を責める鎖にもなります。他人の苦しみと比較して、自分の苦しみを矮小化してしまうこと。それは、自分の心を自分でいじめているのと同じことなのかもしれません。
たとえ誰かにとっては些細な悩みでも、自分にとって「今、これがつらい」と感じているなら、それは紛れもない事実です。誰の許可もいらない、あなただけの感情。それを認めることは、決して逃げでも甘えでもなく、自分という一人の人間を大切にするための、第一歩なのだと今は思います。
「つらい」と言葉に出してみても、現実の業務が劇的に楽になるわけではありません。明日もまた、同じように忙しい現場が待っています。
でも、自分の心と会話をして、その感情に名前をつけてあげること。それだけで、心の霧が晴れるような、不思議な安心感に包まれることがあります。言葉にできたからといって、すぐに辞める決断をしなければならないわけではありません。「つらいけれど、今日はもう少しだけいたい」「つらいから、少しだけ外の世界を眺めてみたい」。そんなふうに、感情と行動を分けて考えてもいいのです。
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