看護助手のお仕事は、驚くほど多くの人と関わります。患者さん、そのご家族、看護師さん、リハビリ職の方、掃除のスタッフさん。狭い病棟という空間で、一日中誰かの顔色を窺ったり、言葉の裏側を考えたりしていると、夕方にはぐったりと疲れ果ててしまうことがあります。
「人間関係に疲れたな」
そう感じたとき、よく言われる解決策は「適切な距離を保ちましょう」というものです。でも、実際にはどうでしょう。苦手な人がいても同じ処置に入らなければならないし、狭いナースステーションで隣り合わせになることもあります。物理的に距離を取ることができない環境で「距離を取れ」と言われても、それができなくて困っている、というのが本音ではないでしょうか。
今回は、そんな閉鎖的な空間での人間関係に疲れてしまったとき、わたしが夜な夜な考えていた、答えの出ない思いについてお話ししてみます。
職場の人間関係がしんどいとき、一番つらいのは「何気ない一言」に敏感になってしまうことだと思っています。忙しい看護師さんからのちょっとした指摘や、先輩の冷たく感じられる視線。以前なら「忙しいから仕方ない」と流せていたことが、心が弱っているときには、まるで自分自身を否定されたかのように重く響いてしまうのです。
「あの言い方、私が何かしたのかな」
「もしかして、嫌われているんだろうか」
そんなふうに、相手の反応に自分の存在価値を委ねてしまう。家に帰っても、寝る前のベッドの中でも、日中の会話のリプレイが脳内で延々と続いてしまう。距離を取りたいのはやまやまだけ得、自分の心の中にまで相手が入り込んできてしまっているような、そんな感覚。逃げ場のない関係性のなかで、心だけがすり減っていく感覚は、経験した人にしか分からない痛みだと思います。
わたしはずっと、「職場の人間関係は円満でなければならない」という思い込みに縛られてきました。チームの和を乱してはいけない、みんなに好かれる人でいたい。そんな「良い人」であろうとする努力が、かえって自分を苦しめていたのかもしれません。
でも、人間関係に疲れ果てたある夜、ふと思ったのです。そもそも、全員と分かり合うことなんて不可能なのかもしれない、と。
「距離を取る」というのが物理的な距離のことだけを指すのではないなら、もっと別の「心の置き所」があるはずです。たとえば、相手を「仕事という劇の共演者」だと思ってみる。あるいは、「自分を成長させるための試練」などと無理矢理ポジティブに捉えるのではなく、ただ「そういう音が鳴っている」だけだと、感情を動かさずに観察してみる。
そんなふうに、自分の中に「無関心」という透明な壁を立てること。それは冷たいことのように思えて、実は自分と相手が共倒れにならないための、精一杯の優しさなのかもしれない。そんなふうに、少しずつ考えが変わっていきました。
もちろん、そう簡単に心が切り替えられるわけではありません。明日になれば、また誰かの言葉に傷つくかもしれないし、嫌な空気を感じて胃が痛くなるかもしれません。どれだけ思考を巡らせても、人間関係の悩みが一瞬で消え去る魔法のような解決策なんて、この世には存在しないからです。
でも、答えが出ないまま「今夜はここまで」とシャッターを閉めてみることは、自分を守るためにとても大切な時間だと思います。
無理に相手を好きにならなくていい。仲良くできなくても、最低限の仕事上のコミュニケーションが成立していれば、それで及第点。そんなふうに、自分自身へのハードルを少しずつ下げてあげる。未熟な自分のままで、ギスギスした現場を何とか今日も生き延びた。それだけで、もう十分すぎるほど頑張っているんだと、わたしは思います。
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